2010年4月23日金曜日

最後の日記


「瞑想は言葉でも、マントラでも、自己催眠でも、幻想への麻薬でもない。
それは意志を持たずに起こらなくてはならない。

それは夜のしじまの静けさの中に起こらなくてはならない。

そのときあなたは急に目覚めて、頭脳が静かであるのを知り、
瞑想特有の本質が働きつづけているのを知るのである。

それは新鮮な朝の光で
緑色を帯びた、丈高い草の中の一匹の蛇のように、音もなく起こるのである。

それは頭脳の奥底で起こらなくてはならない。

瞑想とは達成ではない。

そこには方法も方式も実習もないのである。

瞑想がはじまるのは比較が終わり、
何かになる、ならないということが終わるときである。」
『最後の日記』平河出版社

35年前まだヨーガを始めて間もない頃
秘伝とされるマントラや瞑想法などに、とても惹かれました。
何か特別な神秘体験ができるんじゃないかと期待して
伝授の度に胸を躍らせたものです。

数年かかってたくさんの「秘伝」をコレクションすることが出来ましたが
想いに反して、それらに対する夢と期待は、惨めに消えてゆきました。

瞑想法と称している宗教がかった小手先の技や
勿体つけたマントラや経文などに
果たしてどれほどの意味があるのか?
私自身随分迷い、思い悩みました。

そんな時、ラーマナ・マハーリシとクリシュナムルティは
たくさんの気づきを与えてくれました。

結局のところそれらの秘伝は、サマディには程遠いものだったのです。
サマディは、そんなもので得られる境地ではなかったのです。

以来私は
宗教的マントラ、グルや神仏への礼拝や祈り、などの要素を持った瞑想法には
期待と依存を持たないことにしたのです。

「心の作用を止滅する」ことがヨーガの定義なのですから
冷静に考えてみれば当然のことでしょう。

そんなこともあって、現在指導している瞑想法は
ヒーリングメディテーションなどのビギナー向けの一部の例外を除いて
ほとんどが無為系のものになっているのです。

沈黙と無為のメディテーションは
デコレーションの多い瞑想法よりも遥かに強い力を放ち
より深い境地へと誘ってくれます。

巷の瞑想法にありがちな表面的な飾りに惑わされることなく
「沈黙と無為」に秘められた深遠な世界をぜひ体験されてください。

「瞑想は言葉の終わったところからはじまる。
思考の器である言葉によっては沈黙は生まれない。

沈黙から湧きあがる行為は言葉から生まれる行為とは全く異質である。

瞑想とはあらゆる表象やイメージ、記憶から、精神を自由にすることである。
『クリシュナムルティの瞑想録』

このクリシュナムルティの言葉を、しっかりと噛み締めて
ヨーガ上達に役立てて頂ければと思います。