2010年4月23日金曜日

花のように生きる


「集中と瞑想とを区別しましょう。
今あなたが瞑想について話すとき、あなたたちのほとんどがいうのは、
たんに集中のこつを学ぶという意味です。
ですが、集中は瞑想の喜びにつながりません。」
 『花のように生きる』 星雲社

私は常日頃、講習会の場で
「ヨーガに於いて集中は、邪魔にこそなれ益にはならない」
と申し上げています。

集中は、ヨーガの様々な技法をマスターする上でも
また、ヨーガスートラの説くサマディを体得する上でも
妨げにしかならないといってよいでしょう。

その理由については
理屈よりも体験としてご理解頂いたほうがよいと思い
いつも参加者の方々に実地で味わって頂いております。

サマディの為の瞑想には
小手先の集中法や、観想法、チャンティング等全く不必要なのです。
その程度の技術と理解では、サマディを体験しようと試みても
結局のところ、無益な徒労に終わります。

世の中には瞑想法と称していても
「迷走法」や「妄想法」の類としか思えないものが少なくありません。

あるいは時として、宗教的なお祈りや観想法が
さもヨーガの秘伝であるかのように講釈されていますが
それらは宗教の世界のアイテムであって
ヨーガが本来的に要求するものではありません。

サマディの為の瞑想とはどのようなものなのか? 

それはヨーガの全体図と覚醒へのメカニズムを正しく知ると共に
みずから体験し、検証する過程で、自ずと悟るものなのです。