2010年4月24日土曜日

シッダールタ-4

前項で私は次の様に書きました。

「このように釈迦は、
釈迦自身に対する礼拝を拒否するだけでなく
他に依存するような弱さや、そして信仰すらも否定することによって
厳しいまでの自己実現を主張していたのです。」

この考え方は、
ヘッセも『シッダールタ』において明示しています。

31ページからの「ゴータマ」の章で、
シッダールタと彼の友で一緒に沙門となったゴーヴィンダは
ついに釈迦と出会い、彼らは釈迦を解脱者と認めますが
釈迦に弟子入りを望んだゴーヴィンダを残して、
シッダールタは別離の道を選びます。

そして遊女と愛し合い、博打の世界に埋没してゆくわけですが
あまりの荒んだ生活に自暴自棄に陥り、自殺を試みます。
釈迦の説く戒律などから遠く離れた生き方をしてきた彼は
その後も紆余屈折しながら、ついに解脱するわけですが
一方のゴーヴィンダは、厳しい戒律と修行の人生を過ごしたにもかかわらず
解脱には程遠く、なんら心の平安も得られませんでした。

最終章で、二人は再会するのですが、
その時にゴーヴィンダはシッダールタの中に真の解脱者の姿を見ます。

破天荒でいわゆる聖者像とは全く異なる様子のシッダールタは
単なる宗教的な思い込みではなく、
真の自由を獲得し、深遠なサマディを体得していたのです。

この作品に於いて、
ヘッセは老荘の世界に通ずる、求道者の在り方を、見事に描きましたが
翻訳者の高橋先生によれば、
ヘッセ自身「瑜伽の行」にいそしみながら執筆に3年の年月をかけて、
かなりの苦労をしたとのことです。

瑜伽とは、いわゆるヨーガのことですが(中国に於ける音写)
高橋先生がなぜヨーガと書かずに「瑜伽」と表記したのか
私はそこにとても興味があります。