2010年4月24日土曜日

シッダールタ-2

『水浴は良かった。
が、それは水であって、罪を洗い去りはしなかった。
精神の渇をいやしはせず、心の不安を溶かしはしなかった。』
(新潮文庫より)

18歳からずっと1000日間にわたり水行を行い
冬は深山幽谷の滝に打たれていました。

当初密教の先達から、水行や滝行は
罪穢れを祓い清め、魂を清らかにする、と言われました。
それを信じて日夜がんばったわけですが、
途中でそれらは信仰の産物であることに気付きました。
沐浴も滝行も単に体に水を当てるだけのものであり
水それ自体には、罪穢れを祓い清めるような神秘的な力などありません。

ただ、ヨーガのチャクラやクンダリーニ理論から考えた場合
全く無意味というわけではないこともわかりました。
(かなり危険なのでお奨めはしませんが)

冬など厳しい寒さの中で滝に打たれたり、水を被りますと
一気に体温が下がります。
そこで体温に関する恒常性維持機能を鍛えるわけです。
つまりどのくらいの時間で体温が戻るかをテーマにしていました。
滝から出ますと、歯が噛み合わないほど全身が冷えきっていますので
ガタガタ震えて、最初は体温が戻るまでに大分時間がかかりました。

そしてある日の明け方、まだはっきりと覚えていますが
濡れた白衣を脱ぐときに、全身からモクモクと湯気が立ち上りました。
その刹那、不動明王の仏像ではありませんが
背中に、火炎を背負ったようなもの凄い熱とエネルギーの上昇を感じました。
予兆としては、その1週間前くらいから、
護摩壇に向かうときになんとなく感じてはいたのですが、
それにしても劇的な体験でした。