2010年5月11日火曜日

静以て身を修める

『「静」ということが問題である。
人生も動と静との次元から成り立っている。
このことは人間の生命を諸君が考えてもすぐわかる。
たとえば呼吸あるいは脈搏、これは生命の動的な面だ。
生命の活動の現象である。
けれどもどうして我々が呼吸をし、
どうして我々が脈搏、すなわち血液の運行があって体を維持しているか
というとそこにはあらゆる細胞器官、
あらゆる機能の見事な統一・調整・調和がある。
そしてそこに限りない静かな落ち着きと全き和がある。
これが「静」である。
つまり最も立派な「動」は、最も立派な「静」と一致する。』
「知命と立命」安岡正篤著 プレジデント社

ヨーガも初心者の内は(特に密教ヨーガの場合)
アーサナに励むことになりますが
形をある程度マスターしたら、次に
動と静について思索することをお薦めします。
ヨーガでも、安岡先生の言われるように
「限りない静かな落ち着きと全き和」が大事なのです。
そこに於いて『最も立派な「動」は最も立派な「静」と一致』します。

難しいアーサナに真剣に取り組んでいますと、
往々にしていつの間にか、手段と目的が入れ替わってしまうことがあります。
何の為にアーサナに取り組んでいるのかを忘れ
アーサナの上達が主たる目的になってしまうのです。
それではヨーガの完成はいつになるかわかりません。
動の中に静を求め、同時に静の中に動を求めてゆきますと
両者の間に「見事な統一・調整・調和」が生まれてきます。
仏像作って魂入れず、という言葉がありますが
アーサナを完成させる為の大事な要件は
まさにこの「和=ムスビ」に他なりません。