2010年5月11日火曜日

五十而知天命


「十有五而志乎學、三十而立、 四十而不惑、
五十而知天命、 六十而耳順、 七十而從心所欲、不踰矩」

これは孔子の言葉です。
読み下しますと次の様になります。
「吾、十有五にて学に志す。三十にして立つ。
四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」

実に考えさせられる一文です。
古神道の師も、この「心の欲する所に従って、矩を踰えず」を
しばしば引用されておられましたが、
ある意味、究極に近い境地を感じます。

私も50歳を超え、天命を覚るべき年頃になりました。
若い頃しばしば、自分の天命について考えましたが
当然のことながら、わかりはしませんでした。
孔子ですら、「三十にして立つ。四十にして惑わず」を経て
ようやく「五十にして天命を知る」に至るわけですから
浅はかな思いつき程度で、天命などわかる筈がないのかも知れません。

私の結論を言うならば
真我独存に至り、無と合一する段階ではじめて
自分自身の本来の役割を覚るのだと思います。
ですから、予め思い込みだけで
天命なるものを勝手に決め付けるのは
賢明なことではないと思います。
なぜなら、自らの可能性を限定してしまうからです。

なにが自分の天命なのかは
それをある程度実現できるだけの条件が整った時に
自覚(自ら覚る)するものなのです。

自分の器は自分で決めているんだ、
というセガール先生の言葉を思い出します。
自立し、惑わなくなった後で、天命を覚りませんと
本物ではないということです。