2010年5月11日火曜日

論語の読み方―2


ヨーガスートラ講座の際に関連年表を作ろうという話を致しました。
それはパタンジャリーがヨーガスートラを編纂した時に
何を知り得る環境にあったかを確認する必要からですが
実は、それだけが目的なのではありません。
その後の展開について知ることも同じく大切だからです。
ですからヨーガスートラ成立後から現代に至るまでの年表も必要なのです。
ブラフマン、アートマン、プルシャ、自在神等々
太古からずっと同じ定義ではないことを
先ずは押さえなければなりません。

つまり言葉の定義それ自体が変化してゆきますと
原文の解釈にも大きな違いがでてきます。

前回の論語がよい例なので、それで説明しますと
「朝聞道、夕死可矣」は
南宋の時にそれまでの解釈が一変しました。
ここで重要なのは南宋がどのような時代だったかということです。
いかなる理由から解釈が変わったのか
その背景を知ることが求められます。
つまり南宋の時代の何かが、論語の解釈に影響を与えたのです。
興味のある方は、その辺りの切り口で研究されますと
思わず「なるほど!」と膝を叩く事になるでしょう。

そして魏の時代の解釈ですが
こちらは孔子の生きた時代をかなり研究しています。
孔子がいつ言った言葉なのか?
その時各国がどのような状況にあったのか?
あの言葉を発した時の心情がどのようなものだったのか?
そして「道」とは何を意味しているのか?
きっと歴史推理小説を読むときの興奮が味わえます。

ところで、私はかつて論語について
時代別に様々な解釈を学びましたが
変わったところとして、次の2書を挙げたいと思います。
「論語講義」渋沢 栄一著 講談社 全7巻
「孔子評伝」匡亜明著 北京外文出版社

前者はかの渋沢翁の著作です。
幕末から明治を生き抜いた偉大な経済人ですが
その方の論語講義は一味違います。

そしてその対極ともいえる「孔子評伝」。
こちらは以前北京で購入した本なので日本にはないと思いますが
なんと毛沢東、マルクス、エンゲルスの視点からの解釈です。
「こうした言葉は、当然、マルクス主義にとって代わることはできないが
マルクス主義者は、この中から有益なものを吸収することができ
また、そうすべきである。」(P503)として、論語に新解釈を与えています。
さらに毛沢東の演説の中に論語の言葉が引用されている事実を挙げ
その思想的な関連についても考察しています。
論語に限らず、老荘やヨーガスートラ等々
時代背景等によって様々な解釈がなされる様は
研究を深める上でとても興味深いものです。
ヨーガスートラを読むときも
どこかのヨーギの解説本を1冊読んだ程度で満足されませんように。