2010年7月16日金曜日

沈黙の意味

『この沈黙は
観察者の体験によって捕捉できるものではない。
そのように体験し認識できたとすれば、
それはもはや沈黙とは言えない。
瞑想のさなかにある精神の沈黙は境界を持たず、
したがってそれは認識の領域にはない。
あるのは沈黙だけであって、
その中では分離の空間は終焉する。』
「クリシュナムルティの瞑想録」平河出版

ヨーガを始めたばかりの頃であれば
「集中」も役立つ場合があります。
ですが半年くらい経ったら、
もう「集中」を忘れなければなりません。
そして、次は「観察」を心掛けるべきです。
観察は、瞑想のスタートラインだと言ってもいいでしょう。
それは、間違いなく、多くの気づきを与えてくれます。

でも、観察が如何に便利なものだとしても
それを手放さなければ、サマディへのドアは開かれません。
なぜなら、観察がある間は、沈黙が訪れないからです。

沈黙とは、言葉を発しないことだけではありません。
思考の沈黙こそが肝要なのです。
沈黙なくして、真我は観えませんし、サマディもありえません。
観察者がいるうちは、心の作用が止滅しないからです。

沈黙が導く純粋観照者は
いかなる観察者とも共存できないのです。