2010年7月16日金曜日

精神を欺くこと

「一切が神聖か、
それとも何ものも神聖ではないかのいずれかである。
あなたの言われること、あなたの言葉、あなたの思考、あなたの詠唱は
いずれ真剣であるかもしれないが、
それらは逆に精神を欺いてある種の魔法にかけているにすぎず、
実際は幻想に陥っており、
それゆえいっこうに真剣なものではないかもしれない。
確かに神聖なものはあるが、
それは思考が構築した言葉や、
彫像あるいは偶像といったものの中にはないのである。」
「クリシュナムルティの瞑想録」

思考が構築した言葉や、
彫像あるいは偶像といったものの中に神聖なものはない、
というクリシュナムルティは
神像、仏像、曼荼羅などへの礼拝を要求していませんでした。
確かに、それらに向かって長時間マントラなどを唱え続けていれば
なんとなく神秘的?な雰囲気に包まれることもあるでしょう。
でも多くの場合、それは単なる自己催眠に過ぎないと思います。
 宗教だからそれでいいじゃないか 
 信ずるものは救われる、と言うだろ etc

それで満足されるならば、それで結構だと思いますが
それではヨーガ本来の醍醐味というか、真価を知ることは出来ないでしょう。
ヨーガスートラやウパニシャッドの説くヨーガは、正しく行なうのならば、
自身を深遠なサマディに導いてくれます。
でも、その境地は、礼拝や信仰ではとても到達できない世界なのです。
マントラのチャンティングを楽しむのも結構ですが
チャンティングでサマディに入るのは不可能だ、というのが私の持論です。