2010年7月28日水曜日

ただひとり在ること

『超俗とは、
腰布をまとったり、一日一食に制限したり、
何か刺激的だが無意味な経文や呪文を繰り返すことではない。

世俗を放棄しても、
依然として羨望や貪欲、恐怖の世界の一部であり、
権威やあるいは
知る者と知らない者との間の区別を認めているようでは、
世俗性において何ら変わりはない。
また名声であれ、理想、神など何であれ、
その成就を追い求めるのも世俗性に他ならない。

受容されてきた文化的伝統そのものが世俗的なのであり、
それゆえ人里はるか離れた山中に隠栖しても、
決してこの世俗性をまぬがれないのである。
真実は断じてその方向にはない。
人はただひとりあらねばならない。

しかしただひとりあることは孤立ではない。
ただひとりあるとは、
錯雑とした貪欲と憎悪と暴力の世界、
痛苦に満ちた孤独と絶望から
自由であることである。』
「クリシュナムルティの瞑想録」

若い頃、山に篭り
滝行や断食etcストイックな修行生活をしていましたが
自虐的な苦行からは、
純粋観照者の出現や真我独存は
到底、期待できないと痛感しました。
生死を賭けたギリギリの修行をされた方ならば
私と同じ様な結論に至ったことでしょう。

隔離された深山幽谷で独り修行するよりも
都会で普通に社会生活を営みながら学びを深める方が
余程難しく、また修行になると思います。

現実社会から逃避しても自由は得られないと知るべきです。
なぜなら自分からは逃げられないのですから。