2010年7月28日水曜日

沈黙と愛

『沈黙はあらゆるものの本源である。
今朝あなたが聞いた音楽は
沈黙の底からあなたに届き、
あなたは沈黙していたのでそれを聞いた。
そして音楽はさらに
沈黙の中であなたを超えて去っていった。

われわれが沈黙に耳を傾けないのは、
われわれの耳が
精神のざわめきでいっぱいになっているからである。

愛があってもそこに沈黙がなければ、
それは思考の手にかかって、
羨望をその基盤とするような文化を持ち、
人間の頭と手でこねあげられた神々を崇める社会の
なぐさみものにされてしまうのである。

沈黙はあなたのまわりーあなたの中、
そしてあなたのとなりにある。』
(「クリシュナムルティの瞑想録」平河出版)

沈黙とはただ単に、
口を結んで言葉を発しないということではありません。
言葉には有声と無声の2種類があるわけですから
有声の沈黙だけでは片手落ちになります。

では無声の沈黙とは何を意味するのでしょうか?

人間は言葉でものを考えます。
ですからたとえ無言を貫いても、頭の中で何かを考えていたら
それは真の沈黙ではないことになります。

つまり無声の沈黙とは
ヨーガスートラの説く「心の作用の止滅」に他ならないのです。
思考が沈黙すれば、
真我は自らの輝きを観照することができます。
それは自らの本源に回帰することを意味します。
愛とは、真我(プルシャ)の働きの一つです。
ですから「愛があってもそこに沈黙がなければ」
というクリシュナムルティの指摘は
その通りだと思います。

ヨーガの真髄は、
真我に対峙する無形の瞑想にあります。
最初は有形のアーサナでも結構ですが、
できればそこに留まらず、いつの日にか、
無声の沈黙と、無形の瞑想を通して
ヨーガ本来の素晴らしさを味わって頂ければ幸いです。