2010年7月29日木曜日

学問は人間を変える

『学問は人間を変える。
人間を変えるような学問でなければ学問ではない。
その人間とは他人のことではなくて自分のことである。
他人を変えようと思ったならば
先ず自分を変えることである。』
「安岡正篤一日一言」致知出版社

子曰、「学而時習之。不亦説乎。」
「学びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。」

学んだことを、日々の習いによって身につける。
その積み重ねは、学問や技を深めてゆきます。
その過程で様々な気づきがあれば
学びの内に本当の楽しさが沸いてきます。
その気づきは、知らず知らずの間に自らを変えてゆくことでしょう。
ただの学問が、真の意味で「活学」となります。

そのうちに、たくさん学んでまいりますと
自らが学びを通して得た喜びを人に伝えたくなります。
ところがそこに曾子は「三省」を心掛けよと言います。
曾子とは曾參。字は子輿。
「伝不習乎。」 「習はざるを伝ふるか」

ここでは「習」の意義が問われます。
単に上辺だけを学んだ程度で、あるいは又聞きや聞きかじり程度で
人に伝え語る資格があるのか、ということです。

孔子は次のようにいっています。
「子曰由誨女知之乎知之爲知之不知爲不知是知也」
「知るを知ると爲し、知らずを知らずと爲す。これ知るなり。」

これは中国医学の先生の口癖でしたが
昔から私も、自戒の意味で受け止めています。
10を知って10を語るのでは、何と頼りないことでしょう。
もしも10を語るならば、少なくとも、
100の理解が必要だと思います。