2010年8月18日水曜日

技術の奴隷

『生、真理は、生きられるべきものです。
ですが、表現は技術を要求します。
今、絵を描くためには、あなたは技術を学ぶ必要があります。
ですが、偉大な芸術家は、
もしも創造的衝動の炎を感じたなら、技術の奴隷ではないでしょう。

あなたが自己の中で豊かであるなら、
あなたの生は単純[素朴]です。
ですが、あなたは、
衣服の単純[素朴]さ、住居の単純[素朴]さといった外的手段をとおし、
禁欲主義と自己修練をとおして、その完全な豊かさに至りたいのです。
言い換えれば、
内なる豊かさから結果的に生じる単純[素朴]さを、
技術という手段により獲得したいのです。

あなたを単純【素朴]さに導いてくれるであろう技術は、ありません。
あなたを真理の地へ導くであろう道は、ありません。
あなたがそれを自分の存在全体で理解するとき、
そのとき技術は生において、
それにふさわしい所を占めるでしょう。』
「花のように生きる」クリシュナムルティ

技術に依存する人は、無為になるのが難しくなります。
なぜなら瞑想の本質から離れてゆくからです。
「瞑想法」に拘れば拘るほど、瞑想ではなくなってしまうのです。
「自然無為」つまり「ありのまま」に近づくことこそ
瞑想の極意そのものといってよいでしょう。

形式やマントラに頼るイメージトレーニング(観想法)では
とてもサマディには辿りつけません。
小手先芸の「瞑想法」という技術への依存を捨てるところから
真の瞑想ははじまるのです。

沈黙と静寂の中で何もしないこと、
あるがままに在ること
それが瞑想の要件なのです。