2010年9月21日火曜日

瞑想は常に新たである

「瞑想は常に新たである。
それは何の連続性も持たず、
それゆえ過去は瞑想のうえに何の影も投じない。
<新しい>という言葉は、
いまだかつてなかったような清新な息吹きを伝えない。
それは消されたあと再び点されるろうそくの光のようなものである。
ろうそくは同じでも、新しい光は前のものと同じではない。」
「クリシュナムルティの瞑想録」

私もほぼ毎日、顕教ヨーガ系の瞑想をしていますが
日々新たな発見と感激があります。
密教ヨーガ系のメディテーションは
マントラやムドラーなど複雑化した技術を活用しますが
顕教ヨーガ系の瞑想は、
原則として自然無為を心掛けて行います。

心の作用が止滅することで、
作為なく「何もしない」状態となります。
雑念も沸くことなく、肉体感覚も消失してゆきます。
そして、自らの真我を観照することになります。
昨日の結果の上に積み上げてゆくのではなく
常に新しい輝きに包まれて「今」を受け止めます。

「瞑想は常に新たである。」
まさしく、その通りだと思います。