2010年9月21日火曜日

そこに、瞑想の真の喜びがある

「制御があるところ、心の瞑想はありません。
あなたが獲得、代償を目当てに探求しているとき、
あなたの探求はすでに終わってしまったのです。(中略)
それは、制限のない永遠の動き[の状態]にあるのです。
そこに、瞑想の真の喜びがあるのです。
そこに、生きている平和があるのです。ですが、
結果を求めるとき、あなたの[諸々の]行為が示しているように、
あなたの瞑想は浅く空っぽになるのです。」
「花のように生きる~生の完全性 」UNIO刊

悟りを求めて瞑想をする
ひたすら、真摯に、求めれば求めるほど
サマディは遠のいてゆきます。
それに気づいたのは、20代半ばのこと。
発想の転換とでも言いましょうか。
ある日の午後、森の中を散歩している時、突然
「個人の悟りは、単なる通過点なのだ」と気づきました。
まさに吹っ切れたという言葉がぴったりかも知れません。
修行とか、悟りとか、どうでもよく感じられました。
それらに拘っていた自分が愚かに思えるほど
完全に、ステージがひとつ変わったことに気づきました。

無為の瞑想は
何かを獲得しようと思ったら、絶対に得られません。
もし代償を目当てに探求しているならば
サマディなど夢のまた夢でしょう。