2010年10月14日木曜日

求聞持法とキルタンクリヤ-3


ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ
「虚空蔵求聞持法」とは、特定の環境で、次第書をもとに、
100日間かけてこの虚空蔵菩薩真言を100万回唱えるというものです。

真言それ自体に、特別な振動を起こす秘密があるというなら
和風の読み方ではなく、
インドのオリジナルな発音でなければならないと思います。

ですが、空海が修行したのは、中国に渡る前なのです。
その頃の空海は、まだ正式に出家もしておらず、私度僧の立場でした。
果たして彼は、正確な発音で真言を唱えることができたでしょうか? 
804年の入唐直前に得度を受け、期間20年の予定で留学した彼は
同年12月23日に長安に到着し、翌年2月に西明寺に入ります。
ところが彼は、最初の4ヶ月間、本来の目的である密教ではなく
北インド出身の僧、般若三蔵に師事し、
サンスクリット語と南インドのバラモンの哲学等を学びました。
福州長渓県赤岸鎮に漂着した時に遣唐使ではなく空海が、
福州の長官へ嘆願書を代筆しているのをみても
彼が中国語に堪能だったことはわかりますが
サンスクリット語までは、入唐前に学習できなかったのでしょう。
ですので御厨人窟(室戸岬の洞窟)で求聞持法の修行をしていた時に
正確な真言の発音ができたかどうかは疑問です。
そして同年6月、彼はついに青龍寺に恵果阿闍梨を訪ねます。
恵果は、不空の直弟子で、当時の密教界を代表する高僧でした。
空海の書いた「御請来目録」によれば、「偶然、遇った」とされていますが
真の密教を求め、苦労して入唐した彼が
当時の最高権威を知らなかったとは、とても考えられません。
恵果は彼を見て「喜歓」し
「我、先ヨリ汝ノ来ルヲ待ツヤ久シ。今日相見ル。大好、大好」
と言いました。
そして、これまで法を伝えるに相応しい人がいなかった、といい
自分は長く生きられないからと(同年12月に病没)
すぐに、伝法を始めたのです。
「必ズ、須ク、速ヤカニ、香花ヲ弁シテ、灌頂壇ニ入ルベシ」