2010年10月26日火曜日

原始仏教と瞑想

釈迦は、生涯一度も仏像の前で読経などしていません。
彼の直弟子達もそうですし、その姿勢は数百年間続きました。
ですから、原始仏典には
「如来や菩薩を信仰すれば、商売繁盛とか、たくさんご利益がある」
などとは書かれていません。

原始仏教の瞑想とは、止観を基本としています。
そこでは釈迦が言うように信仰の介在する余地などありません。
かつて達磨が壁に向かって坐禅を続けたように
ただ無に向かって止観に徹するものでした。

仏像、真言、経典などに依存する在り方は
明らかに後世のものだと言えます。

顕教ヨーガの瞑想は
経典を読誦したり、真言(マントラ)を唱えたりするものではありません。
曼荼羅や仏像を持ち込んで礼拝したりなど一切行ないません。
紀元前のウパニシャッドや、かのヨーガスートラには
シヴァ神もクリシュナ神もでてこないのですから。
私のスタンスは、
釈迦が説くように、信仰に頼らず、その原点に立ち返り、
自灯明・法灯明、つまり真我独存と真理との合一体験を
真摯に、瞑想を通して追求するものです。
偶像崇拝や、経典に依存した救済ではなく
純粋にサマディを体験することを目指したいと思います。