2010年11月1日月曜日

無心にして真技

「技が至れば無心にしてまさに真技となる」 王老師

無形に至るにも、まず有形を極める以外に道はありません。
ですが、有形を意なくして行ずるならば
無形に至ることは出来ないでしょう。

「技が至る」為には弛まぬ修練が必要です。
そして一段一段踏みしめながら階段を上るが如く、
地道に功を練ってゆくしか方法はないのです。

ここで問題になるのは、「意」という言葉です。
私はこれを内観と行気に分けて考えています。
内観とは内的な観察と集中であり、
行気とはエネルギーの操作に他なりません。
これなくして功を練り上げるのは、まず無理だといってよいでしょう。

無形に至るとは、
まさに、この次元の話なのだと思います。
気流とでもいいましょうか、
自分のみならず相手のエネルギーの流れをも全て包含して、
無心の内に激しい流れを鎮めるべく捌いてゆくことが、
無形の技に至った段階なのでしょう。

そこでは何かの形・型に無理して嵌め込む作為などないのです。
まさに老子の説く無為そのものといえます。