2010年11月8日月曜日

死との融合

『彼女は死んだのではない。真我と融合したのだ。』
「ラマナ・マハルシの伝記」ナチュラルスピリット社

この本には、ラーマナの日常的なエピソードが書かれています。
私的には、母親の死を見守る時の姿が印象的でした。
彼女が帰幽した時、側に付き添っていた彼は
すぐに晴れやかな表情で立ち上がり
「さあ、食事にしよう」と言いました。

亡くなる直前まで、彼はずっと
右手を彼女のハートに、左手を彼女の頭に置いていましたが
一時の延命など、まったく関心はありませんでした。
彼女の真我が神我と融合すること。
それだけが、唯一の願いだったのです。
見送る、こと。見届ける、こと。それだけだったのです。

『プラーナ(生気)はハートに吸収され魂は遂に
微細な鞘をすべて脱ぎ捨てて
ふたたび無知に戻ることのない最終目標地、
解脱の至高の平安に到達したのだ。』
「ラマナ・マハルシの伝記」

サマディに入るということは
ある意味「死を体験すること」と言ってもいいでしょう。

自分が死んだらどうなるのか?
それを自ら覚ることで、生と死の真の意味を知ることができます。
そうすれば、死に対する怖れなど消えてゆきます。
そして同時に、本質的な意味で、
生きることの素晴らしさに気づきます。
「どこから来てどこへ行くのか?」
「魂の故郷(本源)へ還る」

昔からよく言われる言葉です。
ですが死に際して、
元いたところ(本源)に還れるとはかぎりません。
むしろ、還れない確率の方が圧倒的に高いと想われます。
なぜなら、人間は生きていた時に行けた所までしか
死後行くことができないからです。

もしも、本源に還ることを望むならば
生前にサマディを体験しておく必要があります。
「別に本源云々などどうでもいい」というのであれば
何も考えなくて良いのですが。。。