2010年11月27日土曜日

サッド・グル

私は、ウパニシャッドの時代、
サッド・グルの存在が、
後世のアーサナ等の肉体的鍛錬に期待された要素を
充分に満たしていた、と考えています。
よって当時は、アーサナ等の練習に時間を費やすことなく
すぐにプラーナヤーマに進めたのでしょう。

つまり顕教ヨーガはサッド・グルによって
生命を吹き込まれるものなのです。

しかしサッド・グルがいつも近くにいるとは限りません。
むしろいない方の確率が遥かに高いでしょう。
その場合、何かがサッド・グルの代わりを務めなくてはなりません。
そこで、誰もがある程度の効果を得られる技術
つまり密教ヨーガが開発されたと考えられます。

いわゆる密教(タントラ)が5~6世紀に最終段階に入りながら
密教ヨーガの技法が14世紀頃に体系化されてくるというタイムラグも
その傍証として考えて良いでしょう。

ハタ・ヨーガ、マントラ・ヨーガ、クンダリーニ・ヨーガなどは
密教ヨーガの代表的流派として、まさにその目的を果たす為の技術ですが
これらの成就にはグルの指導が不可欠だといわれています。

私はサッド・グルとグルの違いを次のように定義しています。

サッド・グルは、その存在それ自体を以って、真摯な修行者を真理へと導く。
グルは、様々な技術の指導を通して、修行者に真理への道程を指し示す。

つまりラーマナ・マハーリシやクリシュナムルティのようなサッド・グルには
アーサナ等は無用の長物なのです。

なぜなら、彼らの一瞥を受けるだけで
修行者の心身そして真我に大きな変化が起こるからです。

それは彼らが到達した境涯の高さを暗示するものですが
同時に「顕教ヨーガとは何か?」を現しています。

対して、段階的にアーサナなどの技術を指導することで
弟子たちを導くのがグルの役目ですので、
サッド・グルとは質的に大きな隔たりがあります。

20世紀を代表する聖者の一人、
ラーマナ・マハーリシ師の見解は次の通りです。
(以下引用はすべて「あるがままに」ナチュラルスピリット刊)

「アーサナは安定した坐りをつくるためにある。
真我以外のどこに、
どのように揺るぎなく住まうことができるというのだろうか?
これこそが真のアーサナである。」(P263)

彼は、
「ハタ・ヨーガをしないかぎり
心を静めることができない者たちにとって
それは役に立つといえよう。」(P263)
としてハタ・ヨーガが必須であるという考え方を否定しています。

ですから、彼の説くアーサナとは単なる身体の使い方ではなく
遥かに深い意味を持った「境涯」を意味しています。

「全世界がその上に揺るぎなくおさまっている土台(アーサナ)
それが真我である。
それは真の知識の空間、輝かしい基盤。
この知識から逸脱することのない安定を達成すること
それが、優れたサマーディのためのアーサナである。」(P263)