2010年12月1日水曜日

マントラと経典

「瞑想は言葉を反復することでも、
まぼろしを目のあたりにすることでも、
あるいは沈黙を香うことでもない。

数珠や経文は、精神の雑音を静めはしても、
結局のところ一種の自己催眠にすぎず、
催眠薬を口にするようなものである。」
『クリシュナムルティの瞑想録』平河出版

マントラや読経は
特定の音程やリズムに集中することで、
心を一定の状態に誘導します。

言葉の意味が大事だという方もいますが
それは宗教的な作用に関わるものでしょう。

クリシュナムルティは、一種の自己催眠だと言っていますが
その通りだと思います。

なぜなら、その効果は、多少の余韻があったとしても
所詮は一時的なものにすぎないからです。

ヨーガスートラは、真我探求の素晴らしい手掛かりです。
その冒頭には、ヨーガの定義が述べられていますが
ヨーガスートラをひとつの理想とするならば
その定義を逸脱する技術は適切ではないといえます。

心の作用の止滅という目標を達成する為に
様々なマントラのチャンティングや、読経は
果たして必要なのでしょうか?

マントラや教典に依存することは
明らかに
ヨーガ本来の方向性に逆行しているといってよいでしょう。