2010年12月21日火曜日

サマディ

 
サマディには、幾多の階梯があります。
例えば、歓喜のサマディですが、これは実に鮮烈な体験です。
 
セックスやランナーズハイのような脳内麻薬系のエクスタシー感覚を
風による海面の波立ちに喩えますと
この歓喜のサマディは、それこそ深海から空に突き上がってゆく様な
存在の根底から一気に湧き上がるような鮮烈な歓喜なのです。
 
私は自分の障害を克服する為にヨーガをはじめ
それこそ生死の境ギリギリの修行をしてきました。
 
そのため、ヨーガをやっていて楽しかったという思い出よりも
つらい、きつい、という大変だった思いが強かったのですが
この歓喜のサマディを味わった時には
「生きていてよかった」
「生まれてきてよかった」と
本当に心の底から実感しました。
 
文字通り生涯初の感動的な体験でした。
 
そこで体験する光の洪水は、まるで滝壺にいるような状態で
ともかく鮮烈で、力強く、清浄さと
言葉にはできない美しさに満ち溢れていました。
 
これはサマディの階梯では初歩のレベルなのですが
ヨーガを志す方には、ぜひ味わって頂きたいと思います。
人生観そのものが根底から変わることでしょう。
 
すでに何人もの方々に体験して頂きましたが
共通するのは、一様に終わってから眼に涙を浮かべ
言葉を失ってしまうことです。
その余韻にいつまでも浸っていたいという感覚なのです。
 
ヨーガのサマディを体験するには
いくつかのハードルがあります。
 
それは、依存心をもたないことと「あるがまま」に在ることです。
つまり自然無為に近い状態になりませんと、サマディは訪れません。
ウパニシャッドの瞑想では、マントラ、呼吸法、アーサナ、観想等々は
すべて役立ちません。むしろ邪魔になります。
 
何もしないこと
つまり作為なく、自然に、あるがままに座れるかどうか
ここに、サマディの成否全てがかかっています。
 
つまり真のサマディは、極限状態で得られるものではないのです。
優しさと、穏やかさに包まれたごく自然な状況の中でこそ
体得できるものなのです。
 
ですから
クンバカで息を止めたりして酸欠状態を作り、幻覚を見て喜ぶような
いい加減な世界ではないのです。
 
観察から観照へ。
その意味を知ることが、サマディへの鍵なのです。